実戦剣術会や、武蔵流の高無先生のワークショップなどに顔を出し、自分の剣術の「自分は何を主眼に稽古をしているか」を見つめ直したりしています。それを言葉にできるということは、すなわち意識した稽古になるからです。また、他の方に説明する場合にも、自分の言葉として伝えることができるからです。
ともあれ、ふとましくもありますが新陰流の中身や武蔵流の『扉(とぼそ)』などを体験しました。木剣はなかなか御しにくく、相手の中心は更に抜きにくく。こうなると、自分の真ん中(ネバリ)を意識せざるを得ません。
普段実戦剣術会では行わない『受けることで真ん中を学ぶ』この流れは、大きな学びとなると思います。いやあ、面白かった!