『第1回文学金魚大学校セミナー』の講師っぽい何者かとして参加しました

6/18に日仏芸術文化協会で行われた純文学系のセミナーにて、西紀貫之がライトノベル・キャラクター小説作家として『純文とラノベの越境』について、純文学小説家の仙田学さんと対談する形でお話をさせて頂きました。

数十人の参加者や、東京大学の三浦俊彦教授や同志社大学の遠藤徹教授たちを前にして話すことに対しては、力みこそ無かったものの、やはり緊張しました。
仙田学先生と事前に『純文の立ち位置』と『ラノベの立ち位置』を確認し、そこから見えてくる『境』を意識し、着地点として持っていく……という流れは、恐らく成功したように思えます。
しかし、純文畑の方々にとっては、理解が追いついたかどうか。

純文の立ち位置『売る(売れる)ことを目的としない小説』に対しての、ラノベの『売ることを目的とした小説』という立ち位置。越境するのはジャンルではなく、作家であり作品であるという結論に持って行けた人がいたかどうか。

いくら話をしたところで、いくら視点の違う話をしたところで、作品そのものがなにもせずに他ジャンルの方に認められるわけがないことを、僕らは良く知っています。
書く書かないではなく、できるかできないか。『売れる物を意識して書けますか?』ということ。書いた物が売れるかどうかは別として。
仙田学先生が「純文が意識してキャラの練り込みなどを取り入れることはできても、ラノベが純文の持ち味を取り入れるのは難しい」と言った意味を、純文が難しい学問だからラノベ如きに取り入れることは難しいと思ってる方もいらっしゃるかもしれません。でもぶっちゃけた物言いをしますと、自分の売り物でわざと売れない物を仕上げろと言われてるに過ぎないので、「あまり意味がない」と言うことに他ならないのです。

最後に「みなさん、いちどラノベを書いてみて下さい」と言ったのは、それが越境になるからです。なんかそれっぽいこと聞いただけでジャンルさまが越境してくれることなんかあるわけないのですよ。作品ではなく商品作って下さい。あくまで越境を意識して、越境することに価値を見出すなら。
そしてそれをコミケやコミティアで、自分の手で宣伝して売るという行為を経験して下さい。自分の作品をただ作るだけならまだしも、「読んで貰う」という一歩を踏み出した途端、それがどんな価値を帯びていないと難しいか知ることになります。
『そんなものは営業や編集の仕事だ』と言ってしまう人のところにでも、よほどの大先生であれば仕事は来るでしょう。
あくまで僕が僕の立場で好き放題言ってるんですが。

……みたいなことを、もっとはっきり言っても良かったのかもしれません。
あ~、大先生になりたいものですな~。

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